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駿遠線=大洲付近
   
『撮影:む〜さん/む〜さんの鉄道風景 より』


非常にローカルな話題ですが、私が鉄の塊に興味を抱き
藤枝駅まで汽車に乗ってマニアと言うお店に出掛けたのにも
軽便を利用して出掛けたもんです^^

この駿遠線の正式名は『静岡鉄道駿遠線』です。

もっと幼少の頃は祖母の内職の出来上がりを届けに隣町まで
この駿遠線に乗って出掛けたのが懐かしい記憶となって
今でも甦ります。

日中は1時間に一本で乗り遅れると1時間待たなければならなかった(^^;;;
それが祖母と自宅から間に合うように歩いてるんだが、なんせ当時は
長閑(のどか)な風潮でテクテクと歩いてるもんだから
汽車の駅近くまで辿り着くと同時か若しくは遅れがちで汽車の到着時刻に
間に合わない事がよくあって、祖母が「あれぇ〜行っちゃったねぇ〜
後58分待つかねぇ〜」っと私に云って退屈な私は駅前をうろちょろ
してたもんです(^^;;;

その隣町は大洲で藤枝駅と反対側の方面だが私は物心がついて
自分の足でこの汽車に乗れるようになると藤枝駅へ何度も行きましたが
途中の東海道線の上を橋架になっていて高さが約7mくらいだが
あまりにも自分の背丈が子供で小さいから30mくらいの高さに見える
訳ですよ(^^;;;
皆さんもご記憶がありますでしょ?幼少の頃道路の幅が異様に広いって
ご記憶が御座いますでしょあれと同じなんです^^
しかもこの軽便はドアが手動で回転ノブです(^^;;;いや!それだけなら
良い方で鎖のところもあってその出入り口付近に立っていると
落とされやしないかと思ったもんです(^^;;;
それでその陸橋の上に差し掛かると足が竦むんですよ(^^;;;
ドアがないだけにスリル満点だったです^^

母の実家も相良でこの汽車に乗って出掛けたし途中の静波海水浴場も
これを利用して行ったんですねぇ〜
途中の大井川も木造の橋で時速15km/hで橋を渡ってる最中はもう
止まってしまうんでは?と言うゆっくりとした速度でしたね。

兎に角その頃は時間がゆっくり過ぎていったように感じました
今は当時よりも5倍もの速度で時間が過ぎているように思えますね(^^;;;

1970年に廃止になり半世紀の最後となりましたが
私は最後の見送りに行けませんでした。
開通当初は蒸気機関だったそうで祖父から聞いた事がありますが
前述の陸橋を自力で登れないそうで客が自ら降りて後押しをしたそうです(^^;;;
その後ディーゼルなって私が物心付いた頃にはガソリンになって
いたそうです、兎に角中は狭いですが客の利用人数が少ない為か
混雑なんて無縁でした(^^;;;


因みにJR藤枝駅が上り終点で駅舎がありました
その光景もむーさんが残しておいてくれたので載せてみます
そこと現在との風景の比較で載せておきます^^

駿遠線=藤枝駅1960年当時

駿遠線跡地=現在の様子

これ程変わってしまった現在。
その当時を思わせる路線の跡形が僅かに残っている箇所が
幾つかありますので手が治り次第撮影に出掛けてみようかと思います。^^


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comment

駿遠線のファンになって50年近い、む〜さんです。駿遠線は1970年の夏に、最後まで残っていた『新藤枝〜大井川』間が廃止されたんですが、早いもので、もう35年がすぎてしまいました。本当に、つい数年前だったように感じます。
1958年にはじめて訪問した時以来、なんどもたずねて行きました。私のホームページで、もっとも力を入れているページです。
最近の、あの辺り様子を、レポートしてくださって有難う御座いました。廃止になってから、新藤枝駅跡、と地頭方駅跡に、各一回訪問しただけです。また、駿遠線の跡を訪ね、当時の様子を回想してみたいものです。

む〜さん、こんばんは^^
駿遠線ファン50年とは私の大先輩ですねぇ(^^;;
む〜さんも駿遠線もあの当時の酸いも甘いもよ〜く知る貴重な生き字引として尊敬に値します。

これからも人々の心の中にだけ残る風景として
また何か見付かったらレポートしてみたいと思います。

どうもありがとう御座いました<(_ _)>

  • @ひろちゃん
  • 2005/09/02 12:17 AM









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